うちの師匠はしっぽがない・第11話
産業化社会になったからと言ってどうして文狐の居た村の連中はあんなに文狐に攻撃的になったんだ。とにかく村民は文狐に敵対的になり、傷ついた文狐の所に大黒亭文鳥がやって来て、俺の弟子になれと言う。
睨み付けた文狐だったものの、何故か文鳥に付いて大阪に出て来る。何故弟子になれと言うのを受け容れたのだろうか。後で傷が癒えたらと言っていたので瀕死の状態だったので来たのだろうか。
やって来た大阪には若い圓紫と白團治が居た。圓紫はこの時点でも未だ普通に話が出来る。二人は前座の頃か。そしてもういい大人になっている歌緑も居る。
文鳥はこの子を俺の弟子にすると言うので、圓紫は納得出来ない。自分を弟子に出来ないと言ったくせに。この時点の圓紫は前回の圓紫とは違う。未だ大黒亭はなりふり構わずあがく者の名跡だったのかと気づくのはまめだを見てからなのだから。
文狐の姿は少女。以前チラと出ていたが、文鳥は先々人間の世界で生きて行ける様に成長前の少女の姿にさせたのか。
文狐は無理に連れて来られたので、愛想も悪い。物置に座布団を片付ける時、文狐は蜘蛛の巣だらけの神棚を見つけた。おまえも人間にないがしろにされているのか。プイと出て行く文狐に圓紫が先輩の言葉を聞けと言うが、文狐は神棚を指してだったら大先輩を敬えと返す。
一緒に食事になっても文狐は箸が使えない。まめだもそうだった。ここに至って流石に圓紫も文狐は何か訳ありだとは思っただろう。こうして文狐と圓紫達の日々は重ねられた。
歌緑があの子が落語に興味がある様には見えぬと言っても文鳥は興味があるなしじゃないんだよと言う。
ある日、文鳥にお得意さんから席がかかった。文鳥は文狐を粗相のない様になと言いつつ席に連れて行く。
行ってみたら大尽さんの宴会の席。文鳥を呼んだのも、あの文鳥を席に呼べると言う力を見せたかったらしい。誰も文鳥の落語を聞いていない。そのうちに主賓の大尽が工事にあたって祠なんぞ蒸気シャベルで一発で壊してしまえと言うのを文狐が聞く。こいつめと思った文狐がツカツカと近寄ってあわやと言う所で文鳥がそいつに酒を被せた。これで何をするのかと文鳥はやられてしまった。
傷だらけになった文鳥は、文狐に自分はああ言う風に身勝手な人間が嫌いなのだと言う。それなのに自分の芸で笑う人間を見ると楽しいのだと。
そして傷だらけの文鳥が明日はおまえの為にとっておきの一席やるぞと文狐に告げて、翌日高座に上がって話し始めたのは百年目だった。この時点で百年目ってどんな噺だっけと思った。圓紫達は百年目が一時間もかかる大きな噺で、しかも芸も出来ないといけないと言う。
噺を途中まで聞いたらどうやら男が派手に遊んでる場面があるみたいで、そこで文狐が引き込まれた。ああこれが嘗ての人間達だ。ここに居たのだ。未だこんな世界があったんだ。
そこから文狐も素直になったし、圓紫も白團治も物置の神棚を綺麗にして文狐と馴染んで行く。文狐も文鳥の所ですっかり世話焼き女房みたいになっていた。
そうして五年。文鳥が病に臥せっている。自分の芸はすっかりおまえに渡した。そこで区切りとしてくれ、オレの芸、お前で終わらせてくれよなと。こうして文鳥は息を引き取った。
そして一人になってしまった文狐。大黒亭の芸は言われたとおりに自分で終わるんだと橋の上で佇んでいたら、あの化け狸を捕まえろ!と走って行く男達。あ、これって第1話の場面ですか?
EDに入って、キャストにまめだが居るのはしっぽなのしっぽに出るからかなと思ったが、しららも居る。と言う事でCパートがあった。まめだが少しでも早く文狐師匠の所に戻るんだと歌緑の所へ行こうと言う場面。そこに当の歌緑がやって来た。とうとう最後の試練か。全13話だから次回は歌緑の試練で一話なんだろうな。
しっぽなのしっぽは百年目の解説。この噺は圓紫と白團治解説された通りで、サゲもその通り。確かに音曲の素養が要るが、あれって一時間もかかる噺だったっけ?