オペラ劇場あらかわバイロイト「ラインの黄金」
昨日(11/22)私のTL上に「アニメ制作会社がオペラの演出」と言うニュースが流れて来て、なんだそれはと調べたらオペラ劇場あらかわバイロイト「ラインの黄金」でガイナックスの山賀博之氏が演出をやると言うものだった。これはアニメとヴァーグナーの両方に趣味を持つ以上は見に行かねばなるまいと、その日のお昼休みにチケットを予約して本日行って来た。
そんな訳で色々事前知識が無い。サンパール荒川ってどんなホールか分からないし、オケがどんな力量なのかも分からない。勿論歌手の力量も分からない。常磐線三河島の駅から10分近く歩いて辿り着いたサンパール荒川の大ホールは1,000人規模のそんなに大きくはないホールだった。ほとんど当然の様に舞台の奥行きも高さも無い。特にオペラにとってはかなり舞台が小さい。だから入ってみたら幕がもう上がっていていきなり今回の演出のキモとなる大きなリングスクリーンが見えていた。
開演時間になったら会場でラインの黄金のファンファーレが鳴り響く。いやあ、こんな所をバイロイトらしくしてたのか。思わずにやけたw もっとも、バイロイトなら外で鳴って観客がぞろぞろと入って行くのだが、ここはそんなロケーションでもない。中でいいでしょう。
ラインの黄金の序奏が始まる時は舞台が暗くなり、リングスクリーンが白く浮かび上がる。以降、このリングスクリーンにはその場その場に対応した模様が映し出される。そう、仕組み的には映し出されるではあるが、観客の印象は浮かび上がるの方が正しいかも知れない。ライン川の川底の時は水中をイメージしたものが、次の神々の集う場所には青空に白い雲が流れ、沢山の旗がたなびく。ヴォータンとローゲがアルベリヒの黄金と指環を強奪にニーベルンク族の地に行く時は上空から地上へ、そして地中へとエレベーターを下降しているかの様に景色が変わる。この場面、今まで見たいくつかの指環の演出の中では最も地中に降下する雰囲気が出ていたと思う。そして指環を象徴する場面ではまさに指環の姿になるのだ。
何だか舞台の真ん中で邪魔だなと最初は思ったリングスクリーンだが、かなりその場の印象を強める機能を果たし、昨年生中継で見たバイロイトのローエングリンのノイエルフェルスのスクリーンをねずみが走る演出に比べたら遙かに上だ。但しこのノイエルフェルスのスクリーンの演出を見てバイロイトがこう言うスクリーンの演出を許容する様になったか、よろしいならばCGの登場も間近だと思う切っ掛けとはなった。だから今回ガイナがオペラの演出と言うのをチラと聞いた時にはそう言うのが出てくるのかとちょっと思ったが、流石にそれは予算がかかりすぎて今は無理か。
でも私が生きているうちにはやって欲しいね。丁度今サイコパスでホログラムを随分と設定要素として使っているが、ああ言う感じのものを。ラインの乙女は無理な体勢を取らずともライン川を泳いで欲しいし、ヴァルキューレは無理な体勢を取らずとも騎行して欲しい。そんな時代が来て欲しい。
今回がラインの黄金だったので、このあと指環のヴァルキューレ・ジークフリート・神々の黄昏が続くのかと思ったら、あらかわオペラの過去公演を見るともうヴァルキューレも黄昏もやっちゃってるんだね。てっきりあのリングスクリーンは巨大な行灯の様だからジークフリートが死ぬ時に走馬燈になるのですね、分かりますとか言いたかったのだが、その機会はもう無い。
リングスクリーンの上を縦方向に日本語訳が流れる。縦に流れるとどうしても5~7文字程度しか入らない。だから日本語訳を見ようとすると凄く気を取られる。観客はあれに頼っちゃダメだ。ラインの黄金程度なら大体の筋はみんな覚えて来ているだろうし、主立った歌詞は覚えているだろう。ところどころで気にする程度じゃないと無理がある。
と、すっかりリングスクリーンの話ばかりになったが、いや、どうしても目立つんでw
演奏は無難、歌手は・・・やはり国内の歌手の声量はこう言うもんだろう。衣装はもうちょっと凝っても良かったんじゃないだろうか。
一番分からないのはコンドルスのバレエ。あれは何の為にあったんだ。アルベリヒがしょっぴかれて手下共に黄金を持って来させる場面では使い勝手が良かったが、それ以外ではどうなんだろう。
各々の場面の動きの指示は誰が出したのだろうか。最後のファフナーとファゾルトに黄金を渡す代わりにフライアを返して貰う辺りからの演出はちょっと気になった。積み上がる黄金はフライアの目の前ではなく、象徴的にリングスクリーンに映し出されるのだが、それだとフライアが消えていく時の不安な雰囲気があまり出ない。そして一番気になったのは、フローが虹を架けた後、ヴォータンを先頭に神々がさっさと消えてしまう事だ。ラインの乙女の嘆きも聞かずに。だからヴォータンはまた戻って来る。そしてヴォータンがローゲに「黙らせろ!」と言ったあと、ローゲがラインの乙女にこれからはラインの黄金ではなく神々の栄光を讃えよと言うや、他の神々がラインの乙女を嘲笑するのが普通の演出だが、もう居ないのでそれが出来ない。神々が嘲笑、しかしラインの乙女の詠嘆に対する不安、これが表現出来ないのだ。どうなんだろうね。