坂道のアポロン・第5話で登場した国鉄の寝台特急さくら
鉄なんで、ちょっと気になった。どこまで再現性が高いのか。
舞台は昭和41年と言う事なので、その頃と合っているのかどうか。但し私はそんなに優れた鉄ではないので、検証がざるかもしれないw
私もその頃に20系寝台に乗って上京した事があったから(勿論親に連れられて)、どうしても興味が沸いてしまった。
硬券
子供の頃あそんだおもちゃの切符には硬券にこの様な赤い線が入っていた。当時は何故赤い線が入っているのか分からなかったし、その後も調べた事がなかった。今回これで気になって、しかも今ならぐぐればネットで情報が得られるので調べてみたら、どうやらこの頃の赤縦三条は特別急行券の印。
参考→硬券の歴史=切符、年譜/茜堂
薫が眺めていた時刻表
まだグリーン車と言う名称は無く、今のグリーン車に相当するのは一等車と呼ばれていた(但し、戦前呼ばれていた一等車ではなく、戦前の二等車がこの頃の一等車で、戦前の三等車がこの頃の二等車だった)。
だから時刻表に「1」とあるのは一等車を連結していると言う印。同じ名称の列車が2本以上走る時は今の様な「のぞみx号」ではなく、ここにある様に「第2ながさき」と呼んでいた。さらには今の様に奇数号が下り、偶数号が上りと分けておらず、上りも下りも第1・第2とあった。多分これだけ細かいのは実物をそのまま引用したのだろうと思う。この辺りは私の子供時代の日常風景だった。
さくらを牽引するEF65 511
機関車は詳しくないのでEF65って昭和41年にもうあったのか?とちょっと驚いたが、調べてみたら昭和40年から製造されたらしい。パンタが架線に接触していないのはご愛敬。日本の鉄道にあるまじき右側通行に見えるが、ここが単線区間で右に見えるのは別の線かもしれない。
東京から佐世保に帰る時の20系客車の扉
これは違います。普段見かける自動扉の様に横からスライドして閉まる扉ではない。20系の扉は折戸であって、パタンと開け閉めするタイプ。そこまでは覚えていたが、調べてみたら自動扉ではなくて手動だったとの事。まあ演出上、車掌補が来て「はい、閉めますよ」なんて出来ないよね。母との会話の途中で閉まっちゃう扉じゃないと。
昭和41年の東京って・・・私、その頃東京に居ましたがなw
粗探しのつもりではなく、坂道のアポロンが面白いから時代考証まで突っ込んでみたくなった次第。