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秋葉原のラジオ会館来夏閉館のニュースであれこれ考える

今週の9月22日に東京新聞のニュースとしてラジオ会館が立て替えの為に来夏閉館と言うのが飛び込んできて激しく驚いた。私がラジ館を明確に意識しだしたのはいつだろうか。以前も書いた様な気がするが始めて秋葉原に行ったのは昭和41年か42年。ラジ館が建ったのは昭和37年なのでその当時はもうあった筈だが、後に述べる理由で多分見ていない。その当時は旧古炉奈の前に建っていたロケットの建物付近の電気洗濯機(電気、と言う点が当時はポイント)を見て回った。

多分はっきりしているのは海洋堂がラジ館に入ってから。随分時間が経ってるじゃないかと言われそうだが、ずっと東京を離れていたので仕方ない。その直前までは家電の秋葉原からパソコンの秋葉原になっていた。そんな状態だった所に「秋葉原の駅を降りると等身大綾波が出迎える衝撃」と言われた時だ。そんな割合近年からだ、足繁く秋葉原に通う様になったのは。5インチの2HDのFDを10枚で1万円で買って「秋葉原って安い!」とかそんな事を言っていた時代よりも後。

そう言う訳なので私にとってのラジ館は家電のビルでもないし、パソコンのビルでもなく、ホビーショップのビルである。1Fと2Fにはコトブキヤがあり、2Fにハビコロ玩具が、3FにはK-BOOKSが、4Fには海洋堂と宇宙船とイエローサブマリンとアゾンが、6Fと7Fにはボークスがある。こんな濃密な空間が建て替えで一旦散り散りになったらもう二度と戻らないのだろう。

さて上でも述べた様にラジ館が建てられたのは昭和37年。Wikipediaによると昭和47年に現在の2/3の増築を行って今の姿になったそうだ。ここで今日万世橋署の方から撮ったラジ館の写真を見て欲しい。
参考資料
たまたまアーケードを挟んだ隣のミツウロコビルが建て替えで取り壊されたばかりなのでラジ館の全貌が良く見える。

明らかに1/3秋葉原駅の方へ行った所で窓の形状が変わっている。つまり現在のラジ館の南側1/3が昭和37年に建てられた部分で、駅側の2/3が増築された部分なのだ。うっかり手前側のリボン状の窓の方が現代的とか思うかもしれないが、この窓は昭和30年代に流行ったタイプ。その後昭和40年代に入るとこのラジ館の増築部分に見られる様な1つのブロックに1つの窓の様なタイプが流行り出す。

北側が増築部分なのは国土交通省の国土交通省の航空写真アーカイブからも明らかで、昭和38年6月6日の東京東北部の航空写真を見ると、ラジオ会館が南側1/3しかないのが分かる。
参考資料
だから昭和41/42年に秋葉原に行ったとしても駅のさらに南側に脚をのばしていないのでラジ館にはお目にかかっていなかったのだ。

これがラジ館南側のオリジナル部分の店舗スペース。
参考資料
2Fに入っていた輸入ビデオショップのsaleが出てしばらく空きスペースになっていた時に撮った。現在はカードなどを扱うアークライト。

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