本/書籍の電子化
AmazonのKindleが出て以降またも盛り上がって来た本の電子化の話は、iPad上陸が目前となって俄然勢いがついて来た。特にiPadの場合は嫌でもデバイスが書籍電子化よりも先に大量流通する為、デバイスがあるなら中身もと引きずられる可能性が今迄以上に大きい。
それを見越して先週話題になったこう言うサービスも昨日(4/19)開始した。
BOOKSCAN(ブックスキャン) 低価格・書籍スキャンサービス - 大和印刷
本を送りつければ100円でスキャンしてPDFにしてくれると言うもの。PDFにさえなれば(PDFが良いと言う訳でもないが)色々な電子デバイスで読める様になる。そして電子化さえすれば場所をほとんどとらない。せっかく始まったもののBOOKSCANは個人の複製の域を超えていて早晩出版社から差し止めを喰らうのではないかとも言われている。だが、それとはまた別にとにかく電子化需要が極めて高いのは確かなのだ。
そしてこれまた昨日(4/19)、Yahooにこんな記事が来ている。
蔵書2万5000冊の男が断言 小飼弾「紙の本は90パーセント消えます」
私も万を超える書籍をかかえているから同じ気持ちだが、とにかく本を所蔵するのは大変なのだ。今のマンションで5.5畳の部屋に櫛状にラックを並べて本を置いているが、全然足りずに他の部屋とか廊下にはみ出している。R.O.Dか、はたまたささめきことの風間家の様に。
90%と言うと妄言の様な気もするがどうだろう。実需要的には紙を求める人が10%しかないなんて事はないと思う。音楽の様に圧縮ファイルを極端に嫌う人間以外ならダウンロードでも全然問題ない世界であれ、所有欲を満たす為にCDを買う人はまだそれなりに残っている。ましてや出力デバイスが音楽とは全く異なり、紙と電子デバイスでは全然異なる本の世界では紙を求める人は多いだろう。だが、本は商業ベースで出版される。今の需要の40%であれ電子書籍側に流れた場合、紙の本の流通が崩壊する可能性はある。崩壊してしまったらごく一部のベストセラー以外は紙媒体での流通が消滅するかもしれない。それが90%消えると言う結果に結びつくかもしれない。
電子化の恩恵はスペースだけではない。蔵書の中から「あれはどこにどう書かれていたっけ?」と言う検索が紙では非常に難しい。おかげで何度も何度も歯がゆい思いをした。これが電子化されれば蔵書内の検索が出来るのだ。但し、BOOKSCANの様にあとからスキャンしたのではダメだが(一応OCRのメニューはある)。
所有欲とか手触りとかそう言うものを除いた場合は書籍電子化には長所ばかりが思いつくのだが、先日叔母と本の話をした時に全く違う側面から電子化した時に失われる物がある事に気がついた。
祖父は蔵書家と言う訳でもないが、戦前・戦中の本を田舎の家に捨てずに随分溜めていた。叔母は子供の頃にそう言う本を見て本の感触を味わったと言う。そう言えば私も夏休みに遊びに言った時につらつらと眺めた記憶があるし、ごく一部は手元に持って来ている。エリヒ・フォン・ファルケンハインの「ドイツ最高統帥論」はその一つだ。私が高校生になる前に祖父母の身体が弱って田舎の家を封印して去ってしまったから中坊の目でしか物色出来なかったのが残念だが。そして父も祖父ほどではないが、まあまあ本を持っていた。これまた中学生の頃に父の本棚から見栄えの良い本を取り出して(ずらっと並んだ六法の本は景色だけ楽しんだw)訳も分からずカタストロフィー理論の本を眺めた(到底読んだとは言えない)記憶がある。眺めただけ。そう、はなまる幼稚園の柊に劣る中学生だ。
こう言う体験が電子化されると失われる。
ヒトは哺乳類であって、子を養う親の影響を受ける。蔵書に触れる体験は子供が育つ上でのほんの一部の体験ではあるが、文字が生まれ印刷が普及して以来の貴重な体験だと思う。それがすっぽり抜け落ちた時代はあまり良い時代とも言えない気がした。