ドラゴノーツ -ザ・レゾナンス-・第25話
まるで終末を迎える様な世界。
前回も書いたが、なぜこのタイミングでチベット仏教の様な僧服の人々がw
タナトスは凡そ60億のドラゴンを地球に降下させた。ほぼ人類の人口に匹敵する数と言う事は、タナトスは全人類をとりこもうとしているのか!とジークリンデは言う。話の流れはそれを否定しない様子だし、タナトス内のアキラやアーシムも何故一体化しないのかとか言うのでそれらしいのだが、もしそうだとするとそれはおかしい。
だって、前回までタナトスは人類とレゾナンスして汚染してしまったドラゴンはもう不要で人類を消してしまおうとしているとか言っていなかったか?最終回でそれがいきなり方針転換されてますよ。
60億のドラゴンに対してライナは俺たち一人一人がが20億を相手にすればいいとか景気づけを言ってくれるが、やってみればやっぱりそれは無茶な話。
一方船の方ではカズキがジンを信じるんだとかいきなり前回変わっちゃったキャラでジンの援護射撃をしようとする。まるで波動砲の様にアイギスを撃ち放つのだが、全然効果ないじゃん。
周囲がじたばたあがいている間にジンはタナトスの中に。もっとも、それには教授の犠牲無くしては不可能だった。最終回で一番輝いていたのは教授だ。
タナトス内でジンとトアとの対話の代理に入ったのは何故かガーネット。何故おまえら人類は一体化を拒むのかとの問いに、ジンは何もかもひとつにしたって孤独だろとか答えるのだが、私からみたらここは宗教論争の様な気がする。まるでヒロイック・エイジで銀の種族と鉄の種族(人類)が優劣を論議する様なもので、全個体が意識を共通化できる生き方と言うのもそれはそれでありなんじゃないのか。
ガーネットが言い負かされた様な形で、
その上でタナトスが姿を現して「人類もなかなか見所がある。次に会う時が楽しみだ」みたいな捨て台詞wを吐いて去って行く。
ジンが試される過程でトアとの「素敵なシートベルト」の出会いの場面が作り出されるが、これは最終回の視聴者サービスですか?w
頑張って2クール見続けたのだが、どうも話の流れが微妙なドラゴノーツだった。Wikipediaが引用しているファミ通の記事では「ドラゴンと交流しながら成長していく姿を通して“他者を理解することの大切さ”を描く作品」と言う事になっているが果たしてそうだったろうか。私としてはとてもそれが描かれていたとは思えないのだが。
ジークリンデが居なかったら見続けなかったかもしれんw
って、確かAYAKASHIもエイムが居なけりゃって書いたな。私は水樹奈々のおっかけかいw