魔法少女リリカルなのはStrikerS・第26話
前回がクライマックスで今回は後始末と締めくくり。ゆりかごの中に取り残されたなのは達をスバル&ティアナが救出に行くだけかと思ったら戦闘ポッドがまだ生きてますよ。あれ?前回全て停止したんじゃなかったっけ?
ともかくアギトと合体したシグナムがポッドの一気撃墜などをしてスバルとティアナはなのはとはやての救出に成功、フェイトもあぶない所をエリオが救出といずれも弟子が師匠の救出で成長を見せる。
それにしてもフェイトちゃん、もうこんなに育っちゃったんだね。
スカリエッティ一味は捕縛されて収監されたのだが、反抗的な5人と協力的なその他に別れた模様。
反抗的な5人と言って映し出された中で、まあ、スカリエッティ本人、クアットロこの二人は分かる。残りの3人がよく分からんなあ。あれはウーノとトーレとセッテ?残りの7人の姿の方が大写しになったから消去法でそうなるかな。ドゥーエはあれで戦死か。ウーノはスカリエッティの片腕みたいなものだったし、トーレは指揮官みたいなものだったからその流れでスカリエッティに忠誠心があるのか。セッテって何やったっけ?w全然記憶に残ってないな。
それとは別にルーテシアは「無人惑星」に隔離。
いや、いくら母と召喚獣がいるからって、ょぅι゛ょ時代に他の人との触れあいがないのは人権侵害なんじゃないのか?
スカリエッティ事件が解決して機動六課も解散。スバル・ティアナ、エリオ、キャロも卒業して六課に居たみんなも夢を持った道へ歩んでいく、めでたしめでたし、って終わりですか。
リリカルなのはは好きな作品だからこそ苦言を呈させて貰うが、このStrikerSはダメだった。
なのはシリーズの中でこのStrikerSは何をテーマにしたかったのかが不明瞭。或いはテーマはあったものの軸がぶれたと言うべきか。作品の雰囲気からは次の世代へ繋げる作品にしたかった様に見える。スバル、そしてティアナが受け継ぐ者と見られた。ところが序盤で主役然として登場したこの二人は終わってみればなのは学校をやっと卒業したと言う所どまり。この程度ならStrikerSのみのキャラで、もし第4期があったとしても「あら、お久しぶり」みたいな登場場面しか用意されそうにない。
そうなった大きな要因はひとえに登場人物が多すぎた事だろう。誰が本当の主役だったのか、最終回まで見てみるとやはりなのはかと思う程度に重点配分が散りすぎた(なのは様のヤンギレも印象的だったし)。第一主役高町なのは、第二主役スバル・ナカジマ、第三主役ティアナ・ランスター、第四主役フェイト・T・ハラオウン・・と、まるで嘗てのどこかの共産国家の様な権力序列を彷彿させる程度の勾配しかなかった。
聖王教会側はこの他にもヴォルケンリッターもいるしStrikerSになってから増えたキャラ(例えばヴァイス・グランセニックとか)もいるし、それらを紹介がてら登場させるだけ(ヴァイスには軽い1エピソードがある)で大変な時間がかかるばかりか視聴側の記憶負担にも重荷をかけている。
一方のスカリエッティ側は戦闘機人が12人もいて、キャラの重要度に若干の軽重はあるもののこれまた重い記憶負担を見ている方にかける。大体、声優が聖王教会側とだぶっているのは何か意味があったのか?これに想像を巡らせるだけでもまた労力がかかった。まさか経費節減の為にダブらせた訳ではあるまいね。さらにその上にゼストとルーテシアを出すと言うのはどんな意味があったのか。ゼストはまだレジアスの対立項としてもルーテシアには物語上の存在意義がほとんど無かった(エリオ、キャロの対立項にしたかったのかもしれないが)。
いくら2クールあるからと言ってやたらと登場人物を増やせばいいと言うものではない。物語に深みを持たせるどころか、どこを歩いても足首程度の浅さの池に居る様なものだ。
個人的には事件の構造はレジアスとゼスト、そしてスカリエッティによって編み上げられ、動き出してしまった流れをスバルとティアナvs戦闘機人(これも4~5人程度)の戦いで彩っていく、こんな感じで掘り下げた方がよかったのではないのか。なのはとフェイトのヴィヴィオに対する母性は入れるのが良かったのか不要だったのかはこれはなお疑問。
ちゃんと考えた構成だったのだなと思われたのがなのはの壁抜きだけだったと言うのが残念だ。
構成と脚本への苦言が多いが、作画も今一度昔を思い出して欲しい。第1シリーズのあの凄まじい魔砲の描写はどこへ行ったのか。みくるビームじゃないんだから。
繰り返すが、リリカルなのはシリーズが好きだからここまで文句を長々と書いた。どうでも良い作品だったら「つまらなかったね」の一言(もっとどうでも良い作品は言及すらしないけど)ですませるのだから。
次があるのなら、リリカルなのは・ふもっふをやって一息入れて下さい>制作側