色々な意味で微妙な「白泉男子」
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「腐女子」の対義語は「白泉男子」だと思う(桀紂屋)
微妙さその1は腐女子のカバーする範囲がヲタ女とほぼ同義なくらい広いのに対して白泉男子がカバーできる範囲はとても狭いから。白泉男子はとてもヲタ男をカバーできるどころか、ヲタ男全体が100だとしたら今や10にも満たないのではないだろうか。確かに今をさること二十余年、男子ですが少女マンガを読みますとおずおずと口外できる程になった時代、その頃の(今の定義で言えば)ヲタ男の層では少女マンガを読む比率は相当高かったと思う。その中でもちょうどその時代は白泉社の雑誌がまさに昇竜のごとき勢いで勢力を伸ばしていた頃だったのでその層をほぼカバーする形で白泉男子は居たと思う。だがそれも四半世紀も前。
桀紂屋さんの所では定義上の意味からの対義語として白泉男子を選んだかもしれないが、そしてそれはある面では確かにそうなのかもしれないが、現実に対義語として集合体をイメージした場合そのあまりの規模の違いに対義語として微妙な感覚に襲われる。そう、コミックマーケットの2日目に石を投げれば腐女子にあたるのに対して、1日目だろうが2日目だろうが、ましてや3日目など、狙いを定めないと白泉男子にはあたらない程度に。
ところで対義語の話からは脱線するが、昔はヲタ男の層と言えばかなりの比率で少女マンガも読んでいたのに今やそれはどちらかと言うと少数派になったのは何故だろう。ヲタ男の層に入ってくる人間のバリエーションが増えたからだろうか。それは確かにそうかもしれない。特に四半世紀前ではゲームヲタなどそうそう考えられない層だ。何しろギャルゲーなどこの世に存在しない時代なのだから。もうひとつはコミック雑誌の多様化にあるのではないかとも思う。四半世紀前は大手出版社の少年誌と大手出版社の少女誌にコミック界は大きく別れていた。少年誌には少女を主人公としたマンガはほとんど存在しなかった。となればそう言うマンガを求める層は少女誌に向かうしかなかったのだ。それが今では違う。別に少女誌に限らずとも少女が主人公のマンガだらけの雑誌は山の様にあるのだから。勿論扱っている内容が大きく異なるので少女が主人公だと言うだけでまるで代替品の様に語るのは危険だが、少女誌にしか行けなかった時代から比べたら環境は大きく変わって少女マンガが引き受けるヲタ男の絶対量は減ったのではないだろうか。
こう言う環境の中で、一出版社の名前を冠した単語が対義語としての力を持ちうるのかは微妙だ。
ところでリンク先の記事でちょっと気になったのが、「りぼん」「なかよし」「ちゃお」を除くと少女マンガを読む男子層は白泉男子が多くてそれ以外の少女コミック系やマーガレット系にはあまり滲出(わざとこの文字)していないと言う。古くからの少女マンガファンとしては「そうなのか?」と思う一方、現在の両誌の傾向を見ればそれはそれで納得も出来ない事ではない。少コミは大分前から今の方向に走ってしまい、マーガレット(週刊)は週刊を放棄した時点で「週マ終わったな」と言う感じだった。でも別マは考察範囲には入れてくれないのか? フレンドとプリンセスは無視ですか?いや、フレンドは細分化で自己崩壊したし、プリンセスは元々地盤が弱かったけど。
ああ、なんだかとりとめもない少女マンガの話になりつつあるが、掲題の件にもどろう。
もうひとつの微妙さ加減はその響き。
なんか「はくせんだんし」って「かいせんだんし」みたいな響きでいやんw
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