「いただきます」を言わせるなと言う母親
先週末から2ちゃんねるでもスレ数ががんがん伸びているこの件↓
「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争(mainichi-msn.co.jp)
私も言ってないのでどれだけとやかく言えるか分からないが、少なくとも「給食費を払っているから、子どもにいただきますと言わせないで、と学校に申し入れた母親がいた」と言うのは驚きでもあり、途方もなく日本の社会が豊かになった事を感じさせた。
そもそも人類の歴史は飢えとの戦いの歴史である。来年、あるいは十年後に現在属している社会が飢餓に陥るかもしれないと言う心配なくかなりの人間が暮らせる様になったのは人類史の尺度で言えばごくごく最近の事だ。しかもその現代ですら飢えている人類は地球上に存在する。日本史だけでも近世において天明の大飢饉の様な事が起きているし、中国大陸では何度にもわたって凄まじいばかりの人口減を伴ったりしている。一定規模の面積のある場所はまだ社会の回復も望めるが、太平洋上の島々で食料の確保手段が絶たれた所では人類の社会そのものの崩壊と壊滅の現象も起きている。
だからその日の糧が得られると言う事は永遠に続く日常的な事なのではなく、偶々幸せな時代に生まれ合わせただけの事だ。この日々が今後も続くなど保障は出来ない。特に日本の様な国土が狭く人口が多く資源を持たない国においては、地球上の食糧需給バランスが崩れた時には致命的な打撃を受ける筈だし、そんな日が来ないなどとは言い切れない。大体にして現在の潤沢な食料輸入はその陰に食料を得る事の出来ない社会を間接的に踏みつけにしたものであり、人類全体に現代の日本人と同じだけの食料を分配する事などできる訳ではなく、中国人全体を日本人全体と同じ水準に引き上げようとするだけで危機的な状況になる。それ位の危うい社会構造の上になりたっているものを、「金を払っているのだから、いただきますなどと『言わせるな』」とは次の世代を担う子供への悪影響を思う時、そら恐ろしい。
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