丹下健三死去
昨日のニュースだが、丹下健三が死去した。
丹下健三が設計した物と言えば、年齢が行っている世代では国立代々木競技場や旧東京都庁、昨今の例で言えば新宿の都庁と言うのが有名どころだろう。一般ではどれだけ知られているかは分からないが広島の平和記念公園及び記念館は代表例だ。ああ、大阪万博のお祭り広場と言うのもあった。
私が始めて丹下健三の建築に出会ったのは代々木の国立競技場だ。東京オリンピックが終わって間もない時で、東京に出てきて代々木の競技場に連れて行って貰った時は子供ながらこんなものがあるとは東京とは凄い所だと思った。未だ地方都市など幹線道路以外舗装もされていない時代で、代々木の競技場と首都高とを見て東京はもの凄い未来都市だと思った。ソ連の映画「惑星ソラリス」に見る様にw
新宿の東京都庁のコンペを見た時も個人的には丹下健三のが圧倒的な印象だった。多分、なんだあれはと思った人間も多かったとは思うが、時代はポストモダンの劣化コピーのビルばかりになっていた時ですっかり辟易していただけにそんな中へ丹下健三はこう言うのを出してきたかと思ったものだった。
新聞各紙でも上記に書いた様な建築物を丹下の代表作として挙げているが、さりげなく全く無視されているのが戦前の「大東亜建設記念営造計画」で丹下が一等を取った事だ。これが事実上の丹下の登竜門ではなかったか。本を探さないと記憶が定かではないが、富士山麓に向けて巨大な道路を一直線(と言っても折れ曲がりはあるが)に延ばし、巨大な神社型神殿の建物を造営すると言う感じのものだった。当時からスケールがでかい。
また、これまた実際に作られた訳ではないので取り上げられていないが「東京計画1960」と言うのがある。東京湾上に巨大な海上都市を作成する計画で、まるで機動警察パトレイバーで出てくる「バビロンプロジェクト」の雛形だ。と言うかパトレイバーのバビロンプロジェクトを見た時にこれは東京計画1960のパクリwではないかと思ったものだ。
そんな丹下健三の新しい建築にはもう出会えないと思うと実に残念である。
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