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ブログライフの時代が来た?さらば2ちゃんねる?

AERA今週号から

んなー事はない。
大体なんでこの二つが排他的な物の様に扱われるのか理解に苦しむ。
確かにブログにはこれまで無かった特徴があり、情報の蓄積や個人作成のサイトを光の当たる場所へ誘導する能力に長けていたりと、今後の展開に様々な期待が持てるのは事実だ。

しかしそれとて、早々と「検索エンジンに役にも立たないブログがぞろぞろ引っかかる様になった。ゴミ以外の何物でもない」と言う非難が沸き起こっているのも事実だ。今でこそ検索エンジンからの流量が大量にある個人ブログだが、各検索エンジンサイトが検索結果の質と言う自身にとって存在意義に関わる観点からブログを検索結果から外す日が遠からず来るかも知れない。

そんな事はさておいても、ブログの仕組みが今後どう化けるかはさらに時間をおいて眺めて見ない事には分からない。トラックバックの仕組みひとつとっても、ブログ書きの間に共通認識が未だ出来上がっていない。最初にトラックバックの仕組みが作られた当初の目論み通りに使われない場面が頻繁に起きている。だから大量に流入した新しいブログ書きが今後これをどう昇華させていくのかは時間をおいて見ないと分からない。

こんな様々な未知数の状態を持ったブログであるが、2ちゃんねる系の掲示板と大きく一線が引かれるのは、分かりやすく言えば「匿名性」であり、もう少し別の言い方をすると「不特定性」である。ブログも無料ブログを利用すれば誰が書いたのか分からないブログは出来る。しかし、それは2ちゃんねる系の掲示板で言う「匿名性」とは違う。そこに名前こそ出ていなくとも、ブログを開いた時点で開設者の「個」が出来上がってしまうからだ。一方の2ちゃんねる系の掲示板では1つ前の名無しさんと次の名無しさんがひょっとしたら同じ書き手かもしれないし、前の日にブッシュを非難した名無しさんと同じ人間が次の日にはブッシュを賞賛してもそれは同一性が確認出来ないのだ。これは書き手にほとんどゼロに近い書き込み責任の認識を与え、好きな時に好きな内容を書くと言う書き手にとって極めてハードルの低い環境を提供している。

この書き込み責任の無さが何を生むかと言えば、広い裾野に莫大な情報発信(価値のあるなしは読み手依存)をさせられると言う事だ。そう言う意味でこの手の不特定性を提供する場の需要は減らないし、個々の同一性を求めがちなブログとは別の次元に存在し続けるであろう。

確かに現在の2ちゃんねるは嘗ての様な拡大再生産が失われつつあるかもしれないし、日々の訴訟案件に西村ひろゆきが疲れ切っているかもしれない。だが、この手の不特定性を提供する場が既に果てしない裾野を獲得しているのを2ちゃんねるを否定したがる人間は未だ分かっていない。

ちなみに、この記事のタイトルは「来たぁ?」「ねるぅ?」と語尾を上げて読むのを推奨する。
元ネタはソ連のアネクドートから。

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verlinkt am: 06. Juli 04 20:37

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