国立国語研究所外来語委員会の外来語置き換え提案
今朝のニュースと言えば、どちらかと言うと例のlivedoor帝国がとうとう近鉄球団買収にまで手を伸ばした件がホットかもしれないが、この件については数多のブログ諸子が盛んに書いている事だし、それ以上に切り込み隊長のブログで濃い内容が語られているからそちらに話を譲る。
で、ここでは国立国語研究所外来語委員会の外来語置き換え提案の話だ。
朝日新聞記事
一口に外来語置き換えと言ってもやり玉に挙げられた外来語がどんな背景でどんな場面で使われているかによって話は違ってくる訳である。私は、近年の状態を大雑把に見るならば「日本語使え、日本語を。お前はその言葉の意味を知らないから外来語を使ってるのとちゃうか?」と叫びたい方なのだが、だからといって全部を全部そうしろとかは言わない。
今更「データベース」を日本語化されたって困る。
総じてスラドのこのトピックで外来語置き換えについての強い拒否反応を書いている面々はおそらくこの辺りにひっかかっているのではないかと思う。ただ、広い意味での情報処理系の言葉は最初から日本語化を放棄している傾向が強いのも気がかりだ。
それに比べたら過去の日本人は概念導入にあたって努力をはらっていた。その資産の上に現在の我々日本人の言語生活が成り立っている。だから極端な言い方をするならば、日本語化の努力を放棄して無条件にそのままカタカナに置き換えるのは、過去に築いた経済基盤を次々に食い潰している現在の日本の状態と極めて似た話なのだ。
勿論日本語化(そのほとんどは漢語化だが)する事によって分かった様な気持ちになる弊害もあるかもしれないが、見当も付かない状態だらけになるよりは遙かにマシだ。
その言葉に初めて出会った日本人が「hydrophilic」と「親水性」とでどちらが概念的に想像出来るだろうか。
大体、「ハイドロフィリィック」にしたところで語源的に「親水性」並の連想も可能だが、一般的な日本人が「親しい」と「水」と言う概念を文字上でも獲得するのと同程度に「hydoro」と「philic」を知る機会があるだろうか。
現時点での日本語環境を無視して日本語化を放棄する姿勢にはそう言う点で大いに警鐘を鳴らしたい。
それとは別に、何をおいても文句をつけたいのは日本語で言える物をわざわざ外来語にするケースだ。
政治家などがよく使う手だ。
これはもう私が言うまでもなく、多くの人間がそう思っている事ではないか。
とりあえず、「マニフェスト」をやめろ。
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