著作権使用料値上げ
何でも金儲けの具にしようと言うのはいかがなものか。ショスタコーヴィッチの演奏がこれによって稀なものになってしまっては実に悲しいものだ。そもそも著作権は何故著作者の死後50年も続くのだろうか。著作した人間に対して相応の報いを与えると言う主旨ならば、死んでしまった後にまでそれが続くのは今ひとつ納得が行かない。もうその著作者は存在していないのに。
もっとも著作者の死とともに著作権が切れる様になっていると、不埒な輩が出ないとも限らないがw
ショスタコーヴィッチの没年は1975年8月9日。夏の浜辺でラジオから聞こえて来たニュースに愕然とした記憶がある。あれから四半世紀を経て、随分年が経ったと思っていたが、著作権的にはまだまだ死後50年の半分しか経っていない。
ショスタコーヴィッチの曲が著作権フリーになるまでは、私はきっと生きていられないだろう。
ちなみにショスタコーヴィッチの交響曲第5番はサントリーホールのステージのバックの席で一度聴いてみるとよい。ホール内に響き渡った残響がえもいわれぬすばらしい空間をもたらしてくれる。
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