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頭が古くて利権に固執する老害はとっとと退場したらどうか

創作した物が紙媒体で残らなければならないと言う考えはそろそろ捨てたらどうか。

「100年後も作品を本で残すために」――三田誠広氏の著作権保護期間延長論(ITmedia)

多分、未だ多くの人達はこの三田氏の「わたしにとっては紙に印刷された本という形であることが重要。」と言う言葉は分からないではない、と思うだろう。今の時点では。だが現実に携帯での読み物は成長中である。そして個人的には優れた電子デバイスさせ出来れば早々と紙の媒体から電子デバイスの媒体に本が移行して欲しいと思っている。

確かに今この時代を生きている人間にとっては紙でできた本の形に自分の作品が結実するのは、物理的な実体を伴う事もあって電子データとして出版されるよりもずっと感慨があるだろう。それが書店に並ぶのは嬉しい事だろう。だが、読み手はどうなのか。確かに現時点での電子デバイスは文字を読むと言う点において紙に劣っている。透過光のモニタで字を長時間読むのは反射光の紙で読むのより疲れるだろう。だが、これが克服された時はどうだろうか。そして本当に文庫並みの重さで実現できた時はどうだろうか。

そうなった暁には絶対電子デバイスの方が良いに決まっている。紙の時にはどんなに厚い本であろうと、電子デバイスならその重さだけでいいのだ。電子デバイスなら何冊分だろうとその重さでいいのだ。買わなかったら後悔するだろうと思って買ってはみたものの、あまりの重さに入院するまで読めなかった1227頁に及ぶ尚樹啓太郎氏のビザンツ帝国史【AA】(アマゾンの「商品の寸法」項目にはサイズの他にこの本の場合は重量も載せるべきである)みたいな本を読む方の気持ちになって貰いたい。そして決定的なのはいくらでも好きなしおりがつけられ、それがなくともドキュメントに対して検索が出来るのだ。あの本のどこかにあんな事が書いてあった筈と言うのは、もう全ページをめくりなおさなくてもいいのだ。そしてある意味では最も大切な事は、書籍によって自宅が埋まる事が無いのだ。こうなった場合は私は断然電子デバイスを選ぶ。いや、あの紙の手触りとかページをめくる時の次のページへの期待感とかそういう感情は分かる。分かるが、それは上記の利点と天秤をかけたら多くの読み手にとって敗れ去るだろう。特に電子デバイス後に生まれた人々にとっては。そしてそれは三田氏が言う100年を待たずしてやって来るであろう。

作家をはじめとして作品を生み出した人には相応の対価を払うのは全く理解できる。だがそれを生み出した人が亡くなった後でまで、本人以外に対価を払うのは全く納得できない。特に右から左へ作品を流すだけの連中に金を払うのはお断りだ。今までは「本」と言う姿にして手元にまで送り出してくれている労力に払っていたにすぎない。それが最初から電子デバイスとして世の中に出る様になったら、サーバの維持費以外に払う気持ちは毛頭ない。

著作権保護期間は作者の死亡とともに消滅するのが望ましい。

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